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『人間性』というものについての移り変わりが某所で話題になっている、と先日妹から聞きました。
昔は『人間性』とは『知性』を示していたが、今は『感性』を示すものになっている、らしいです。
この話を聞いて、まあ、そんなに深くは考えずに発言しているのですが、『人間性』というものを考えるときの比較対象が変化しているのではないかと思いました。
昔は村や町といった狭い域内で生涯を過ごし、自然と闘いながら生きていたため、『人間』と対峙するものは『自然』や『動物』といった『野生』だったのではないかと。
そのため、『自然』や『動物』との差である『知性』を『人間性』としていた。
一方で、現代の人々、特に先進国に生きる人々にとって『自然』や『動物』は対峙する対象ではなく、『触れ合い』『愛でる』対象となりました。
そして義務教育も浸透して本を手に入れることも容易となり、『知性』というものはそこにあってしかるべきで特別ではないものになったのかと。
そしてテレビやインターネットの普及により、簡単に『知識』を手に入れられるようになっただけではなく、違う地域や階級に暮らす『自分とは異なる文化を持つ人間』というものを意識するようになります。
そうすると『人間は人間』という大きなくくりだったものが『Aという文化圏に生きる人間』や『貧しく忙しない日々を過ごす人間』『豊かで恵まれた人間』『Bという経験をした人間』というように細分化され、『人間』と『人間』を比べるようになります。
『人間』同士を比べる際に人間同士の違いはというものを考えると、分かりやすいのは文化や階級、経験の違いによって発生する『感じ方の違い』というものではないでしょうか。
『感じ方の違い』を比較してより人間らしい人間とは、というものを考えるようになったことで、『人間性』の違いが『知性』から『感性』に変わっていったのではないだろうか。
……とまあ適当に考えたのですが。
実際どんな感じに話題になっているんですかね?
"soleil d'ete"は、仏語で"夏の太陽"という意味。
BL(フィクションの同性愛)ネタから文学、経済、突発ネタなど、多分興味のままに不定期更新。